メディアリテラシー教育の必要性①~ネットの危険から子どもを守る~

現代では、小中学生がスマートフォンを

所持している光景が珍しくありません。

膨大な情報の波と常に隣り合わせ

にいる状態は、世の中を便利にすると同時に

社会的な問題を生み出しています。

そこで今回は、子どもたちへの

メディアリテラシー教育の必要性

についてお話ししたいと思います。

 

 

 

 

 

近年、スマートフォンの普及や無料Wi-Fiなどの

インターネット環境の整備が進むことにより、

時間や場所を問わずして、

必要とする情報が得られる

ようになっています。それに加え、

LINEやFacebook、インスタグラムなどのSNSにより、

コミュニケーションツールの多様化

急速に進歩していると言えます。

また、デジタル教科書やeラーニング、学習アプリなどの

普及により、スマートフォンやパソコン・タブレット端末などの

ICT機器は、学習活動においても有効活用

されるようになっています。

 

 

 

 

 

日常生活・学習活動と、

子どもたちがICT機器を活用する場が増えていく中、

ICT機器が持つ危険性について、

子どもたちにどのような意識づけが行なわれている

のでしょうか。

ICT機器に関する危険の代表例としては、

SNSを通じたコミュニケーショントラブルです。

相手の顔が見えないこと、

文字を打ち込むだけで要件を伝えられることなどが災いし、

いじめなどに発展するケースが数多く報告されています。

それに加え、インターネット上で知り合った相手から

誹謗・中傷を受けたり、出会い系サイトなどで

未成年者が危険な目にあったりと、

様々な事件が発生していることも事実です。

 

 

 

 

 

 

 

誰も悪質な方法で使用することがなければ、

こうした問題や事件が発生することはないのですが、

現実問題としてそこに期待をすることは難しいでしょう。

そうした危険から身を守るためにも、

メディアリテラシー教育が必要なのです。

何をしたら危険かを理解できるかどうか、

そしてその危険な行為をしないこと(抑制)ができるか

どうかが大きなカギとなってきます。例えば、

・知らない人から連絡が来ても返事や会う約束をしない

・相手が不快になるような画像や悪口などを、

 SNS上に書き込んだり掲載したりしない

・もし被害にあったらすぐに家庭や学校・警察に相談する

などです。また、

発達の途中段階にいる子どもたちに、

メディアリテラシーが身についていない

と判断される場合にICT機器を使用させる際は、

使用にある程度制限を加える必要があります。方法としては、

・有害サイトへのアクセスを防ぐため、

 インターネットにフィルターをかける

・使用時間を制限する(朝〇〇時~夜〇〇時まで)

・家庭では保護者の、学校では教員の管理下で使用させる

などが挙げられるでしょう。

小学生がスマートフォンを所持していても、

何ら不思議でない現代社会において、

子どもたちを目に見えない危険から守るためにも、

周囲の大人たちがメディアリテラシーを身につけ、

子どもたちにそれを適切に伝える必要と義務

があると言えるでしょう。

以上、メディアリテラシーについてお話ししました。

イラスト:ニョラネコ

※メディアリテラシー:世の中にある様々な情報を読み解き、主体的に活用する能力のこと

不登校って悪いこと?

これまでのブログで、

不登校に関する記事を何度か投稿してきました。

年々増加傾向にある不登校の児童生徒数に対し、国としても

不登校の児童生徒に教育が行き渡るようにするため、

いわゆる教育機会確保法の施行

などの動きを見せています。ここで気になるのは、

不登校は問題(課題)としてとらえるべきなのか、

とらえるとするならば「誰の」問題(課題)なのか、

という点です。

今回は、不登校について少し掘り下げて考えてみたいと思います。

不登校の定義や、

不登校の子どもたちの居場所・学び場としての

フリースクールについては、

これまでのブログでも解説してきました。

詳しい説明は省略しますが、

何らかの原因で学校に行かない、行きたくとも行けない状態

にあることが不登校と言われています。(詳細は、ブログ「不登校とは」より)

教育基本法第4条に、

「国民は、その保護する子女に、九年の普通教育を受けさせる義務を負う」

とあります。

九年の普通教育の内容に関しては、学校教育法にありますが、

「小学校6年間+中学校3年間=計9年間」

または「盲学校・聾学校・養護学校の小学部6年間+中学部3年間=9年間」

が相当します。子を持つ親は、

子どもを小・中学校に子どもを通わせる義務があることと同時に、

学校(学習すること)に必要性を感じている方も多いでしょう。

しかし、理由があって通えない(通わない)子を持つ保護者の立場としては、

複雑な胸中なのではないかと思います。

学校でしか得られない学びは数多くあることは間違いありません。

しかし、人間関係のトラブルや学業不振、いじめなど、

子どもたちを取り巻く多様な悩み・不安によって、

学校から足が遠のいてしまう子がいることも現実です。

 

 

 

 

 

 

 

その際、子どもが「不登校・学校に行かない」という選択をした要因は、

子どもを取り巻く環境にあるのではないかという見方を、

心に留めておく必要があります。

周囲からはその子への理解はあったか、

適正な支援・合理的配慮はなされていたかなど、

不登校を選択した、または選択せざるを得なかった要因を、

子どもの外側に目を向けてみることが大切です。

さらに視野を広げてみれば、芸術活動やスポーツなど、

自分の個性を最も輝かせる場所が

学校の外に見つかっていたり(またはそれを探したり)、

海外には自宅での学習が学校に認められる

「ホームスクーリング」という方法があったりと、

その子に合った学習方法やその子の居場所は、

必ずしも学校のみにあると言い切ることは難しいのかもしれません。

そう考えると、不登校は問題行動であると決めつけることはできないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

子どもの多様性を認めるのと同時に、学び方の多様性を認めることが、

現代社会に必要とされているのかもしれませんね。

今回は、不登校について少し深く掘り下げた内容のお話でした。

 

イラスト:ニョラネコ

【実施報告】栄区自立支援協議会にてお話をさせていただきました

9月11日(火)、栄区自立支援協議会にて,

当団体の代表・城田輝三がお話をさせていただきました。

 

 

 

 

 

テーマは、「不登校の子どもと発達障害」。

多様な子どもたちのニーズを満たすためには、教育と福祉の連携もとても大切だと考えています。

終了後には質問や感想もいただき、社会課題の解決に向けての意見交換をすることができました。

貴重な機会をいただき、誠にありがとうございます。

ギフテッドとは~「普通」について考える~

昨年(2017年)、ある男性とその姪である天才少女を

描いた物語「gifted」が公開され、大きな反響を呼びました。

以前のブログで、音楽家であるモーツァルト

ギフテッドである可能性があるのでは、

と採り上げましたが、神童・モーツァルトが持って生まれたもの

ギフテッドとはいったい何なのでしょうか。今回は、

ギフテッドを通して「普通」ということについて考えて

みたいと思います。

 

 

 

 

 

gifted(ギフテッド)とは、読んで字のごとく「与えられた」、

つまり、「天から才能を与えられた存在」という意味です。

世の中には、驚くべき才能を持った方が多く存在しており、

その多くはギフテッドではないか、とも言われています。

信じられないほどの記憶力を持っていたり、

他に真似できない芸術的センスを持っていたりするなど、

ギフテッドのジャンルは多岐に亘ります。

この映画に出てくる少女は、

天才的な「数学」の才能を持つギフテッドです。

幼いころから簡単な計算はもちろん、

桁数の多い数同士の掛け算はおろか、

数学の教員が間違えた複雑な数式を正すなど、

その類まれな才能が表立ってきます。

この少女の母親はすでに亡くなっているのですが、ここで注目したいのが

「普通に育ててほしい」という生前の母親の願いです。

男性の母親は、彼女の才能を埋もれさせないためにも

「特別な教育」を求めますが、姉の願いを全うしなければという葛藤の中で、

男性は深く悩んでいきます。

果たして、「普通」とはいったい何なのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

私たちも、普段の生活の中で、「普通」という言葉を当たり前に使っています。

この「普通」とは、社会一般の大多数を基準とし、

そこと比較することで「普通」という概念を生み出しています。

とすると、ギフテッドのように、

多くの人と違う何かを持つ人は、

既に「普通ではない」ことになってしまうのでしょうか

「普通」という言葉を辞書で引いてみると、その中には

「それが当たり前であること」という意味も含まれています。

生まれ持った個性は、その人にとってそれが当たり前であること、

つまり普通であるにも関わらず、

世間一般の型に当てはめ、周囲と同じにすることは、

果たして普通なのかと、疑問に思ってしまう部分もありますね。

以前、筆者が勤務していた高校に、数学のIQが140近くある生徒がいました。

その生徒は、仲間たちと笑顔で楽しそうに過ごし、

時には彼の持つ数学の才能を使ってギャグを言ってみるなど、

周囲にとても溶け込んでいるように感じられました。

その子が持つ才能に、過度に注目するのではなく、

周囲の人がその人を理解し、認め、受け入れられることで、

その人らしく過ごせること、

それが「普通」なのではないでしょうか。

「gifted」は、そうした背景を通して、家族愛を感じられる作品ですので

一度ご覧になってもらえるといいかもしれません。

以上、ギフテッドを通して「普通」について考えるお話しでした。

 

イラスト:ニョラネコ

【報告】鎌倉パートナーズ様に当教室の記事を掲載していただきました!

鎌倉市市民活動センター様の広報紙、

「鎌倉パートナーズ」に、当教室の記事を掲載していただきました。

鎌倉市で市民活動に取り組む人や団体にスポットをあて、活動の様子を紹介する「リレートーク」というコーナーに、SeedsAPPの理念や活動の方針などをとりあげていただきました。誠にありがとうございます。

鎌倉パートナーズ記事

【報告】助成金をいただきました

この度、横浜市より

「よこはまふれあい助成金」

をいただくことができました。

【誰もが安心して自分らしく健やかに暮らせる「よこはま」をみんなでつくろう】

という基本理念のもと、地域課題の解決のため、子どもたちの成長と

社会貢献のために、有効に活用してまいりたいと思います。

ありがとうございました。

【取材報告】大学生の方々に取材をしていただきました

6月6日(水)、某大学現代福祉学部の学生の方々に、

当団体の取材をしていただきました。

取材をしてくださった方の大学では、

福祉分野に関する論文を毎年作成しているとのことで、

今回取材に来ていただいた方々は、特に発達障害の不登校支援について着目し、

支援の現状や社会課題について熱心に研究されていました。

今回の取材が、より良い社会の構築に少しでもお力添えができたのであれば幸いです。

 

 

 

「フリースクール」の在り方や必要性

今年の2月、平成28年度の

不登校児童生徒数の確定値が、

文部科学省より発表されました。

調査結果によると、

小中学校における長期欠席(不登校等)の児童生徒数は、

133,683人であるとされています。

不登校とは【SeedsAPPブログ】

こうした子どもたちの状況を踏まえ、

フリースクールの在り方や必要性について

少しお話ししたいと思います。

 

 

 

平成28年度「児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査」について(確定値)

 

平成27年度の小中学校の

不登校児童生徒数125,991人であり、

1年間で約8,000人増加していることがわかります。

 

平成28年度においては、

小学校で30,448人(前年度27,583人)、

中学校では103,235人(前年度98,408人)

不登校であると調査結果が出ています。

人数の増加数は中学校の方が多いものの、

割合から行くと小学校の方が多いことがわかります。

平成28年度、学校外の機関での相談人数は42,219人

うち学校から出席扱いとして認められた人数

19,684人である、とのことです。

以前のブログで少し解説させていただきましたが、

フリースクール等学校外の機関での活動が、

学校長により出席扱いとして認めてもらえるというケースがあります。

しかし上記からわかるとおり、

不登校児童生徒への学校外教育の浸透が進んでいるとは言えず、

出席への振り替えも15%程度にとどまっています。

 

 

 

 

 

 

 

ここに該当しない子どもたちの多くには、

学校に行けずにいる期間をどのように過ごしているのか、

どのようなケアがなされているのか、

学習活動はどのようにしているのかなど、

支援が行き届いていなかったり、

非常に不透明だったりする点が数多くあるのが現状です。

様々な理由により学校に通えなくなってしまう子どもたちにとって、

「学校を休む」ことはとても勇気のいる決断であり、

心の安定や休息のためには必要であると、

我々は広く受け入れていくべきでしょう。

しかし、その間も時は流れており、

子どもたちは大人への階段を上っているのも事実です。

学校に通えずにいる時間をどのように過ごすかは、

その子が社会自立への道を進むうえでも大変に重要

であると言えるでしょう。

そこでカギになるのは、

やはり学校と学校外の連携ではないでしょうか。

学校だけでは解決の難しい課題に対し、

学校と学校外とが密接に連携し、

その子にとって本当に必要な支援を行なっていくことが、

子どもの社会自立に向けた第一歩になるのではないかと思います。

そしてその選択肢の一つとして、

フリースクールなどの学校外教育の場に、

大きな可能性を感じられます。

 

フリースクール等の学校外教育が学校と深く連携し、

不透明な点を解消することで、

これまで行き届かなかった支援の手を広げ、

個々に対する有効な支援方法や新たな課題を発見

しやすくなるのではないかと思われます。

時代背景に伴い、教育的ニーズが変わりつつある現代において、

何のため、誰のためかを見定めた、

大人からの押し付けにならない柔軟な教育活動を、

より広い視野で考えていきたいですね。

 

以上、フリースクールの在り方や必要性についてのお話しでした。

 

イラスト:ニョラネコ

学習活動におけるICT機器の活用方法③ビデオカメラ

前回、前々回と2回に渡ってお送りしている

ICT活用教育シリーズですが、

タブレットはまだしも「電子黒板」となると、

なかなか身近に感じられませんし、

ハードルも高いのではないかと思います。

そこで今回はお手軽なICT機器、

ビデオカメラ」を活用した学習方法について解説したいと思います。

「えっ、ビデオカメラもICT機器?」

疑問を持たれる方もいらっしゃるかもしれませんが、

ビデオカメラは映像という情報を保存・入力・出力することができる

立派なICT機器なのです。

 

 

 

 

 

(連続写真などは、スポーツ界ではもはや当たり前に使われている)

学校のような教育の場では、割と昔から取り入れられています。

特に活用しやすいのは体育科目の実技における学習活動でしょう。

体育科目での実技においては、

走る・跳ぶ・投げる・回る・ひねる・伸ばす・縮めるなど、

体を使って様々な技能を表現する必要があります。

またそれらの技能を用いて

・物を操作する

・動いている物に対応する

・空間を見つけ出す(作り出す)

・集団における役割を果たすなど、

単純な技能だけでなく

複数の処理を同時に行なう必要も出てきます。

普段何気なくそうしたことができるというのは

実はものすごいことなんです(笑)

これなら、勉強と同じように

運動にも得意不得意があって当然ですね。

自分の体を使って表現をしているときというのは、

何か道具がない限り、自分の体がどう動いているのか

を確認する手段は、自分の感覚を頼るほかありません。

一般的に運動神経が良いと言われる人は、

自分の体がどう動いているかを把握し、

思い通りに表現したり、

必要に応じて修正したりする能力が優れている

と言えるでしょう。

やや話が逸れてしまいましたが、

ここで活躍するのがビデオカメラなのです。

ビデオカメラなら、自分の動きを記録し映像化することができるので、

自身がどのように動いているのかを確認したり、

自身の動きを分析したりすることができます。

映像を停止したり、巻き戻したり、スロー再生したりすることで、

より詳しく動きを分析することができます。

また、手本となる動きと比較をすることで、

自身の動きに足りない部分をより明確にすることもできます。

 

1991年に国立競技場で開催された世界陸上では、

カール・ルイス選手が当時の世界記録となる9秒86というタイムをたたき出しました。

 

 

 

 

 

そこで日本陸連のバイオメカニクス研究班は、

高性能のビデオカメラを用いて彼の動きを徹底的に分析したことにより、

ICTは日本スポーツ界の競技力向上に大きく貢献しました。

スポーツ界のみならず、学校教育においても

ビデオカメラというICT機器は、

有効に活用できる可能性を秘めていると言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

以上、学校教育におけるICT機器の活用方法として、ビデオカメラについて解説しました。

 

イラスト:ニョラネコ