かなり聞きなれた言葉になりつつある「不登校」という言葉。
今回は、不登校の定義などについて解説していきます。
「不登校とは、何らかの心理的、情緒的、身体的、あるいは社会的要因・背景により、児童生徒が登校しないあるいはしたくともできない状況にある者 (ただし、「病気」や「経済的理由」による者を除く。)」※児童生徒の問題行動等生徒指導上の諸問題に関する調査より抜粋
と、文部科学省により不登校は定義されています。不登校の児童生徒数は平成9年に10万人を突破して以降、高水準のまま今日に至っています。
以前は「登校拒否」という言葉も使われていましたが、現在はこの言葉を聞くことはほとんどありません。
登校拒否という言葉が使われていたのは、昭和41年~平成9年までの間でした。
当時登校拒否は、
「学校ぎらい」「心理的な理由などから登校をきらって長期欠席をした者」で50日以上欠席した児童生徒」
と定義されていました。ここで注目すべき点は、「学校ぎらい」という点です。
例えば、こんな場面を想像してみてください。
ある家庭で、ペットを飼ってみないかと提案をされた子どもがいたとします。その時、
A太くん「飼ってみたいけど、以前犬に噛まれたことがあるし…それにちゃんとしつけができるか不安」
B子ちゃん「ペット?動物なんて嫌い!なんでそんなもの飼わなきゃいけないの!」
と別々の反応がありました。この2人の違いは何でしょうか。
2人は共通して、ペットを飼うことに肯定的でないことがわかります。しかし、A太くんは「飼ってみたいけど」と少し前向きな意見もありつつ受け入れにくい状況にあることに対し、B子ちゃんは「飼いたくない」と明確な拒絶をしていますね。
不登校という言葉は、「登校しないあるいはしたくともできない」と定義されているように、
本来子どもは学校に登校したいと考えていることにも注目している点にあります。
子どもたちにとって、物心ついたころから「学校は自分も行くようになる場所」「言って当たり前の場所」という感覚が付いてくることがほとんどです。そんな場所に通わないもしくは通えないということが、子どもはもちろん保護者にとっても大きな不安の材料となってしまうのは、それこそ当たり前なのかもしれません。
ここで大切なのは、無理をさせないこと、そして子どもの気持ちを理解することです。
子どもたちはいつでも一生懸命で、素直に頑張っています。全力で走り続ければ、途中息が切れてしまうこともあるでしょう。走り続ける体力がまだついていなければ、足を止めることもあるでしょう。
子どもたちのゴールは、ずっとずっと先にあるのです。時には休ませてあげることも、話を聞いてあげることも大切なことです。
もしお子さんが不登校になってしまったり、不登校になりそうだったりした場合は、
まずは子どもの心の声に耳を傾け、悩みを聞き、共感し、一歩前に進めるよう寄り添ってあげてみてください。
子どもにとって、他の誰よりも保護者の方が一番身近にいる相談相手なのです。それでも難しいようであれば、学校や専門機関に相談してみるのもよいでしょう。
休みたい理由が解決できれば、自然と学校にも行くようになることでしょう。そこにかかる時間は子どもによって違います。それもひとつの“個性”と、前向きにとらえてみてはどうでしょうか。
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